県警本部長と刑事部長謝罪 富山の誤認逮捕男性に
ひどい話なのは言うまでもないが以下のニュースと比べるとおもしろい。
カナダ首相、「テロ容疑者」の不法拘束を認め謝罪
日本の場合、真犯人の発見により、誤認であることが発覚。
日本の場合、2年の懲役で謝罪のみ。
カナダの場合、1年の拘束+拷問で、補償金約10億5000万円
この金額の大きさは、このような間違いは絶対犯してはならないという強い意志を感じる。安部首相はこの人に賠償金を払う、と独自の判断で言えるだろうか?
日本の場合、誤認逮捕をやむを得ない必要悪と考えているところがある。犯罪者を野放しにしないための一部の犠牲は仕方がないと考えている。絶対になくさなければならないという意志は感じられない。
犯罪者を野放しにすることと、誤認を犯すこと、どちらがよりダメージが大きいか?1:1で考えるなら後者に違いない。
今回の日本の誤認逮捕、真犯人が見つからなければ、この人は一生犯罪者として生きなければならなかったかもしれない。その絶望は想像を超える。
そして日本にはこの絶望の渦中の中にいるひとが、まだまだたくさんいると考えるのが自然だ。
PS:
今回の誤認逮捕で、裁判を批判する意見を多数見かけるが、当時この被疑者は裁判で容疑を認めている。裁判官にそれを見抜けと言うのは無理な注文とも言える。しかし憲法38条-2には「強制,拷問若しくは強迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は,これを証拠とすることができない。」とあるのも事実だ。だが今回の事件、被疑者は身内にも見放されて、すべてに気力をなくしてしまったかに見える。