経産省官僚の給付機詐欺事案

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国家の経済衰退とともに、社会レベルがとくに衰退し、それが政治レベルにも影響する。だからそのようなニュースが増えることは大した衝撃もないが、こういう衰退を逃れるべき官界や学界までが影響されると暗い気持ちになる。この衰退の原因を認識し対処できるのは国家レベルでの知的集団でしかなく、ここまで終わってしまうと修復させるのが困難になるからだ。

今回経産省官僚が起こした事件はそういう意味で衝撃が大きかったとともにやっぱりこうなってしまうみたいな感想も持った。というのも経産省の考え方が成長期のものから全く変わるどころかかえってそれに固執し、その力を増大させるようになっていて、通用しないやり方をいつまでもやっていてそれが失敗していれば自らの存在意義を見いだせず組織の力が衰えるからだ。

今回事件を起こしたとされる二人はいずれもこのような終わった考えをもっており、すでにおかしくなっていた社会的風潮や政治的風潮の中で、知的にも古いものに支配されていたことが原因だと思う。

誰が悪いのか

歴史的事情

先の大戦の敗北後、日本はアメリカのやり方を受け入れ、無批判でそれを当然と考えてきた。もちろん対抗する左の思想はある。しかしそれが共産主義しかも当時はまだ未熟な共産主義思想だったため、その拡大を恐れアメリカのようにアカに対する必要以上の忌避を醸成した。

アメリカはアメリカ自身のもとでアメリカの制度を運営しているのでそこに欠陥があってもその欠陥を自身で認識しそれを乗り越える思考が生まれてくる。日本は世界史的に見れば未熟な国であり、自らに自信をもっておらず、あるいは根拠なき自信しかもっていないため、アメリカ的制度の根本的な欠陥を認識し乗り越えるということが難しい。

経済的事情

経済学の問題もある。主流な経済学は資本主義後期の今はほぼ通用しない。成長を前提として数式が組まれており、それが止まると原因がどこあるかもわからないし、どう分析していいかもわからない、あるいは相関関係だけでなにかを探し求めたとする浅い認識しか得られない。

政治的事情

政治はひどい状況で通用しないやり方に更に力をいれている。日銀はマネーを富裕層に溢れさせ、国は金融を奨励し、国民を価値のないことに向かわせている。

このようにあらゆる状況が荒廃したなかで人格が荒廃するものしょうがないとも言えるが彼らはエリートであり、エリートがそういう力に飲み込まれてしまうのではエリートとはいえない。今回の被疑者達は慶応大学だというが、福沢の思想も明治初期なら革新的で未来を切り開くものではあっても、同じ思想が未来に通用するということは原理的にありえない。学界も重く受け止めるべき事案であり、社会や政治の通用しなくなった力を相対化できる人格を育成しなければならないだろう。

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