疎外と知性

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以前から古典と読まなければ駄目だとか言ってきて、日本の近代文学をよもう見たいにいってきだが、駄目だった、日本の近代文学は駄目だと思った。特に夏目漱石が駄目だと思った。駄目だといっても、それがなぜ駄目なのかをいうのがすごく難しいことがわかった。とにかく彼の人物描写には耐えられない。

何とかして彼の駄目さ加減を言いたいと思ってたら、疎外というキーワードが浮かんだ。疎外といってもマルクスとかの難しい話ではなく、仲間はずれ位の意味の疎外だ。

夏目漱石には疎外がない。仲間はずれじゃない。これが彼の欠点なんだと思った。そして自分にはこういう人の言うこと書くことには同調できないこともわかった。

そしてさらに広げて、疎外がないやつは知性もない。とまで言いたいと思った。しかしヘーゲルが壁になった。困った。さすがはヘーゲル閣下。哲学の王様。

ユダヤ人は優秀だ。とよく言われる。疎外のせいにしてしまえばいい。イスラエルができて優秀なものが出なければ証明完了。

ところで疎外が有効なのは、疎外されることにより疎外するもの(全体)が見えるようになるからと言えるだろう。

近代文学が駄目だといったが、例外はあった。有名な太宰もそうだが、折口信夫だ。この人がすごいことがわかった。今読んでる。共同幻想論にもつながる話であって、この本はよくわからなかったが折口を呼んでからまた読めば理解できるようになりそうだ。

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